定岡正二、甲子園のプリンス〜巨人軍〜現在/波乱万丈の人生とは!【しゃべくり007】

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皆様こんにちは。やすこです!

今日は、11月20日(月)久しぶりにメディア【しゃべくり007】に出演されるとの事で、プロ野球界のレジェンドであり、タレントとしても活躍している定岡正二さんについて、過去と現在の姿を振り返ってみたいと思います。

是非最後までお付き合いください。

定岡正二 過去:甲子園のプリンスから巨人のエースへ

定岡正二さんは、1956年に鹿児島で生まれ、野球一家に育ちました 兄の定岡智秋さん弟の定岡徹久さんと一緒に、プロ野球選手になるという夢を抱き、高校は、鹿児島実業高校に進学し、野球部に入部。

3兄弟が皆野球に携わるという環境は、ご両親もさぞ野球に熱心だったのでしょうね。

子供が一人でも野球に携わると土日も全て野球に費やされるので、ご両親も休みらしい休みは取れなかったのではないでしょうか。

学年がズレるので、3学年離れた我が家の場合でも2人の息子達のため約12年間、ほぼ休みはありませんでした。3人なら尚更です。

高校3年生の夏には、全国高等学校野球選手権大会に出場し、定岡正二さんはエースとして準々決勝戦で東海大相模高校との延長15回にわたり熱戦を勝ち抜きます。この時の活躍は今も語り草になっています。

準決勝の防府商高校戦では、惜しくもサヨナラ負けを喫しましたが、その活躍と甘いマスク、高い実力が注目され、女子中高生から絶大な人気を獲得し、甲子園のプリンスとしてその名を馳せました。

1974年のプロ野球指名会議で、読売ジャイアンツから1位指名を受け入団。その後同時代の江川卓さん西本聖さんとともに三本柱の一角として日本シリーズ制覇に貢献しました。また数々の名シーンを残したプロ野球選手でした。

定岡正二 巨人軍の裏切り

その後腰痛に苦しむようになった定岡正二さんに、1984年、巨人軍は近鉄とのトレードを持ち掛けます。しかし定岡正二さんは巨人軍への愛着もあり、そのトレードを拒否。

いくら腰痛に悩み好成績が出せないといっても、それまでの巨人軍での活躍を思えば、そんなに簡単にトレードに応じ、巨人軍への思いを割り切れるものではないと思います。

しかし球団側は本人の意思を尊重せず、近鉄への移籍を強制しました。
定岡正二さんは、このトレードによって、巨人での夢や希望を奪われたと感じたのではないでしょうか?
彼は、このトレードを「プロ野球界で最も残念なトレード」と言っています。

結局意にそぐわないトレードを受け入れ近鉄へ移籍した定岡正二さんでしたが、成績を残せぬまま29歳という若さで現役生活の幕を閉じました。その突然の引退は、多くのファンに衝撃を与えました。

定岡正二さんの過去を知ると、その苦労や悲しみに心が痛くなります。本来ならもっと野球ができ、ファンもその姿を楽しみにしていたでしょうに、シビアな野球の世界を垣間見た気がします。

定岡正二さんは甲子園のプリンスとして、巨人のエースとして、多くの人々に夢や感動を与え、また野球界のレジェンドとして、歴史に名を刻みました。

定岡正二 現在:野球解説・タレントとしての新たな挑戦

定岡正二さんは、引退後も野球界への深い愛情を持ち続けています。

テレビやラジオでの野球解説者として、鋭い視点で現代野球を分析しその豊富な経験と知識を野球ファンや若い世代に提供しています。

現役時代に辛い経験をしたからこそ、より選手の目線に立ったアドバイスや独自の知見かあるのではないでしょうか?

また定岡さんはタレントとしても二度目の人生を歩み始めます。
特に「とんねるずの皆さんのおかげでした」への出演は、彼の新たな魅力を引き出し、多くの人々に新たな笑顔を届けました。

しかし最近はメディアへの出演が減っていたように思っていましたが…

定岡正二 しゃべくり007に出演

いよいよ定岡正二さんが久しぶりにメディア【しゃべくり0007】11/20月21:00〜に出演されます。

長嶋一茂が兄弟と慕う”巨人軍ゆとりOB”初参戦‼”という事で定岡正二さんの他に宮本和知さん元木大介さんと出演。

それぞれが楽しいキャラの持ち主の4人がどの様に絡んでいくのか、きっと面白い内容となるでしょうね。

定岡正二 まとめ 波乱万丈の人生

定岡正二さんは、過去には甲子園のプリンスとして、巨人のエースとして、多くの人々に夢や感動を与えました。そして現在はタレントとして、野球関係者として、多くの人々に影響を与えています。

また過去と現在という対照的な波乱万丈な人生を生きてきた人だと思います。

今後は益々活躍の場を広げ、私たちを笑いの渦へと引き込んで欲しいと思います。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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