皆様こんにちは。
今日は【中居正広の金スマ】に出演される料理研究家のリュウジさんについて、なぜ料理に興味を持ち、誰でも簡単に美味しい食事が作れるようなレシピを公開しているのか?
そのきっかけを深掘りしたいと思います。
どうぞ最後までお付き合いください!
料理研究家リュウジ 中学・高校時代は引きこもり?
リュウジさんは、 本名菅澤竜士(すがさわりゅうじ)。1986年5月2日 生まれ、千葉県千葉市出身で一人っ子、母子家庭で育ちました。母親はエステシャンで仕事が忙しく、料理はあまりされなかったそうです。
母親といえども一人の人間。仕事をしながら子供を育てるのは容易な事ではありませんからね。
リュウジさん自身も中学から高校までは引きこもりで、オンラインゲームに夢中だったとか。
そして高校時代に安い鶏の胸肉を使い、インターネットで調べながら作ったチキンソテーが初めての料理だったそうです。 その料理をお母さんが美味しそうに食べてくれたとか。
やはり大好きな人が「美味しい‼︎」と言ってくれるのが、料理を作る側から言えば一番嬉しいですもんね。
料理研究家リュウジ 18歳で世界一周の旅へ
結局馴染めなかった高校を1年で中退した後、アルバイトで80万円のお金貯め18歳の時「ピースボート」で世界一周の旅へ出かけたリュウジさん。周りの人達が観光をしている間、リュウジさんは一人街へ繰り出し、世界各国の料理を食べ歩いき、地元のスーパーへ出かけては食材を調べていたそうです。
引きこもりだったリュウジさんの行動力には驚かされますが、「食」へのこだわりは強かったのでしょうね。
この時の経験が料理を探求するきっかけになったそうです。
料理研究家リュウジ 料理研究家への探求
19歳で帰国した後、漫画喫茶でアルバイトをしながら一人暮らしを始めます。 当時の月収は9万円、その内食費にかけられるのは約1万円。必然的に節約のため毎日料理をするようになったそうです。
インターネットなどを参考にして、自分なりに色々と工夫してみたそうで、段々料理が楽しくなってきました。
その後のリュウジさんは様々な職を転々とします。
⚫︎21歳から4年間、千葉県内のホテルでホテルマンとして働くも、2011年の東日本大震災でホテルが閉鎖。
⚫︎料理人を目指してイタリア料理店に入ったが、毎日同じ料理を繰り返し作るのが嫌になり、「料理は好きだけど、料理人は向いてない」と3週間で辞職。
⚫︎高齢者専用マンションでコンシェルジュとして働く。 マンションのレストランの食事が不味いとクレームが多かったので、料理好きだったリュウジさんが月2回料理を担当したところ、入居者から大好評。この経験がリュウジさんにとって大きな自信となりました。
元々料理のセンスがあったのと、誰かを喜ばせる事が好きだったんでしょうね。
2017年にTwitterで料理研究家としての活動を始めました。
最初は自分の作った料理を写真や動画で紹介するだけでしたが、徐々にフォロワーが増え、リュウジさんのレシピは簡単・手軽・美味しいというコンセプトで、「爆速レシピ」と呼ばれるようになりました。
リュウジさんの出版物、『リュウジ式悪魔のレシピ』が第7回(2020年)、『リュウジ式至高のレシピ』が第9回(2022年)の料理レシピ本大賞 in Japan の大賞に輝きました。
今では雑誌などのメディアにも多数出演し、株式会社バズレシピ代表取締役社長、YouTubeチャンネル「料理研究家リュウジのバズレシピ」ではフォロワーが396万人(2023年10月現在)と益々活躍の場を広げています。
料理研究家リュウジ まとめ
リュウジさんは、料理研究家としての活動を大切に、料理の楽しさや美味しさを多くの人に伝えてくれています。 料理は難しいことではありません。好きなものを好きなように作ればいいのです。
料理をすることで、自分も幸せになれるし、周りの人も幸せにできると思います。
私も毎日リュウジさんのレシピを参考に、家族や友人に料理を振舞っています。みんなが喜んでくれて、私も嬉しいです。リュウジさんのおかげで、料理が楽しくなりました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
リュウジさんのレシピに興味がある方は、ぜひチェックしてみてください。
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